2014年12月22日月曜日

ちょっと一息・官兵衛が最終回

NHK軍師・官兵衛が最終回となりました。皆様、ご覧になりましたか?黒田家といえば福岡の礎を築いた大大名ですが、それは官兵衛の子、長政からとなりますので、「福岡」は紹介幅が少しでしたね。福岡県人としては、晩年の様子が短かったのが残念ではあります。
歴史に「もし」は存在しませんが、関ヶ原の戦いが長引いていたら少なくとも九州は黒田官兵衛によって統一されていたのか、、、なんて考えてしまいます。

  余談でした。

                                              総務部 日下部

2014年12月21日日曜日

大宰府の成り立ち

大宰府とは、アジア(中国・朝鮮)への外交拠点として置かれた役所・地方官衙(チホウカンガ)が、その名の由来となっています。当初は、この福岡だけではなく吉備や播磨にも「大宰府」は存在していました。
これらが時代の流れとともに政治的重要性を失い、残ったものが福岡の「大宰府」です。朝鮮への兵站基地として博多湾近くにあった那津宮家(ナノツノミヤケ)が「筑紫大宰」として発展し、役所としての基礎ができていきます。

では、大宰府は何故現在の場所になったのか??
次回、663年「白村江の戦い」です。

                                              総務部 日下部

2014年12月15日月曜日

古都・大宰府

現在、最終回待ちとなっておりますNHK大河、軍師・官兵衛をご覧になっていますか?
黒田官兵衛が福岡で過ごしたのは晩年です。関ヶ原の戦いの論功行賞により筑前の国を与えられた黒田長政とともに福岡に入りました。
官兵衛は、太宰府天満宮にも居住していました。そういう意味でも太宰府は、官兵衛所縁の地であると言えます。

さて、皆さんは、太宰府の歴史についてどの位ご存じでしょうか?
太宰府は古都ですので歴史愛好家さんも多く、歴史に詳しい方も多いかと思います。私も太宰府に勤務するするものとして多少なりとも勉強しているつもりではございますが、「釈迦に説法」である部分は、何卒ご了承ください。

次回、大宰府の成り立ちをご紹介します。

表記については以下とさせて頂いております。
大宰府(点なし):古代の役所及び、歴史的な内容
太宰府(点あり):中世以降の地名や天満宮、行政表記


                                        総務部 日下部


 

 

2014年12月14日日曜日

歴史と自然の公園墓地・太宰府メモリアルパーク

はじめまして。管理事務所の日下部(くさかべ)です。

このブログでは、太宰府メモリアルパークのある「太宰府」の歴史や名所をご紹介して参ります。
随時、更新して参りますので是非、ご覧ください。

宜しくお願い致します。



夫婦展望台からの眺め

                                      総務部文化推進課 日下部