2015年1月17日土曜日

左遷の地・大宰府

太宰府が左遷の地なんてとんでもない!!と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、当時の「大宰府」は、都からはほど遠い西国であったはずです。望んで大宰府に赴任する貴族もいなかったことでしょう。
さて、大宰府で最高権力者は「帥・ソチ」と言います。官職で従三位・中納言という高い役職です。
大伴旅人のように実際に赴任後、大納言として都に戻った人もいますが、平安時代中期以降は、親王が任命され、赴任しない役職と形を変えます。長官職が高位ということから大宰府がいかに重要な場所であったかが分かります。しかし、同時に地理的要因(中央から離れている)から、中央での勢力争いに負けた人の左遷の地としても利用されるようになりました。
その中で、最も有名な方といえば菅原道真公ではないかと思います。道真公は、その才覚から天皇に見いだされ、右大臣にまで昇進されました。当時、朝廷の実権は藤原氏が握っており、その対抗馬となっていたのです。最終的に藤原時平により大宰府へと左遷されます。
道真公は、失意のもと大宰府に下り、約2年後に没したと言われています。

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな

道真公が詠んだ有名な歌ですね。
因みに、道真公を埋葬した場所が、現在の「太宰府天満宮」であると言われています。

次回、大宰府の衰退について

                                  総務部文化推進課 日下部