2015年6月13日土曜日

時の記念日

6月10日「時の記念日」に、大宰府政庁跡地にて「時の記念日」行事が開催されました。
時の記念日が6月10日になった理由は、671年新暦6月10日に近江大津宮にて漏刻(水時計)が造られたことに由来します。
当時の帝は天智天皇で、この太宰府にも縁深い天皇です。663年白村江の戦いに敗北した日本は、九州の玄関口である大宰府を現在の内陸に移動させます。これと同じく、天皇の住まいである宮も飛鳥から大津へと移動させました。大津遷都には諸説あり、白村江の敗北だけが理由であるかは定かではありませんが、時同じくして誕生したのは事実です。
天智天皇が造られた漏刻は大津で始めて用いられ、この大宰でも置かれたと伝えれれています。言わば、日本最古の時計は、大津と大宰府であったということです。
さて、大宰府ではこの時の記念日行事を辰山会さんが太宰府市民遺産として守っておられます。
朝6時10分に政庁跡に集合し、記念行事が開催されます。朝早くにも関わらず、多くの皆様がお越しになっておりました。さすがは歴史の街、太宰府ですね。
こうした活動が市民遺産に認定され、地域住民の皆様で守り引き継がれている。それは素晴らしき伝統です。



時の記念日行事の様子①


舞の披露


                                          文化推進室 日下部




2015年5月16日土曜日

博多どんたく港まつり

福岡のお祭りといえば、「どんたく」と「山笠」ですね。
この「どんたく」に、太宰府市が参加しているのをご存じですか?太宰府市長をはじめ、市役所職員の皆様、自治会などの皆様が太宰府市PRの為、頑張っておられます。
総勢200名ほどのパレードになります。その中で先頭に位置するのが万葉衣装の官人です。この衣装は大宰府万葉会さんのお手製となります。
今回、私も、「どんたく」に万葉会サポートメンバーとして参加することができました。
梅花の宴、大弐紀卿 役です。
大弐紀卿は、大伴旅人邸で開かれた宴「梅花の宴」に参加し次の歌を詠みました。

正月立ち春の来たらばかくしこそ 梅を招きつつ楽しき終へめ
(意味:正月になって春がきたら梅をみて楽しみましょう)

大弐紀卿とは、紀男人(きのおひと)という名前です。大宰府の官職である大弐の紀という人という意味です。

梅花の宴で最初に詠まれた歌として有名です。当時、梅は中国から渡来した大変珍しい植物でした。その貴重な梅を愛でる会、それが梅花の宴であったと言われています。尚、この時の梅は「白梅」のみです。「紅梅」は、ございませんでした。現在の桜の花見に近い色合いでしょうか。

余談ですがこの白梅と紅梅、、枝を切るとその断面の色も違うのご存じですか?梅酒や梅ぼしなどに利用されるものも白梅だそうです。同じ梅でも違いがある。面白いですね。



パレード中 太宰府!!の声が沿道から聞こえました

太宰府市まほろばの里どんたく隊

                                           文化推進室 日下部

2015年5月1日金曜日

官人の装束

以前、このブログで歌詠みの会「梅花の宴」をご紹介いたしました。この時に着させて頂いた衣装は、大宰府万葉会さんが作られたものです。
大宰府は律令制にもとづいてつくられており、長官である帥を頂点として大弐、大監、大典とった役職があり(抜粋しています。役職はもっとあります)、その役職に応じて服の色が決められていました。一目でどの位階の方かが分かる仕組みです。
一番高い位は、紫、次いで赤、緑、青といった具合です。細かく言えばそれぞれの色に濃い、薄いがあり、同系の色でも濃い色の服を着ているものが官職が高いとなります。
下記の「梅花の宴」の画像を見てみると、様々な官職の役人がいますね。
因みに私は、深緑を着させて頂きました。役職は大監、少監といったところでしょうか。
次回、再び、この万葉衣装を着る予定がございます。次回は、、、、赤です。官職が上がりました。
いつか、紫を着れるように歴史と万葉集を学びたいと思います。


色鮮やかな装束

                                     文化推進室 日下部

万葉歌碑①

太宰府を歩くと、万葉の歌碑を多く見ることができます。遠の朝廷と呼ばれた大宰府は大伴旅人や山上憶良が詠んだ歌が多く残る万葉の里です。
私も好きな歌が沢山あります。例えば・・・・・
◆大野山霧立ち渡るわが嘆く息その風に霧立ち渡る        山上憶良
◆いちしろくしぐれの雨は降らなくに大城の山は色づきにけり   作者不詳

どちらの歌も、趣があって良い歌です。その情景が想像できます。
この歴史ブログでは、今後本格的に太宰府の名所をご紹介していきます。


太宰府市役所前の歌碑

                                      文化推進室 日下部






2015年4月8日水曜日

太宰府市文化協会主催「春の祭典」

この歴史ブログでは、歴史、観光、文化の側面から展開したいと考えております。文化面では、今この太宰府においてどのような文化活動が行われているかご紹介します。
2月に行われた万葉会主催「梅花の宴」、3月の「市民遺産会議」に続き4月4日、5日にプラムカルコアにて太宰府市文化協会主催「春の祭典」が行われました。
歌、舞、、三味線、太鼓など、日頃皆さんが頑張ってこられた成果を披露する場として、盛大に行われております。
私、今回初めて観覧させて頂きましたが、感動しました。多くの文化活動がこの太宰府において行われていること本当に素晴らしいですね。
日本美、まさに「所作」ですね。細やかな動作、美しさが存在します。
メモリアルパークは、太宰府の文化活動を応援しています。今までも、これからも多くの文化活動がこの太宰府にて花開く様、活動して参ります。

                                       文化推進室 日下部


グランドフィナーレ(大宰府音頭)

2015年3月19日木曜日

太宰府市景観・市民遺産会議報告

2月上旬に「太宰府市民遺産会議」に参加させて頂きます!!との投稿をさせて頂いておりました。実際に参加してみると、なんと多くの方がお越しで、座る席もないほどの盛況でした。

前回と同じ書き出しながら、皆さんは「太宰府市景観・市民遺産会議」をご存じでしょうか?
市民遺産会議さんのHPを見ますと、『市域に目を転じると、先人たちが培ってきた多くの文化遺産が、時の流れに身を任せるようにひっそりと佇み、人々の往来、生活とともに寄り添っています。太宰府を形づくる人・モノ・風景の中から、未来の市民に守り伝えていきたい文化遺産に光をあて、守っていきたいという自立的な活動とともに市民に提案し、多くの市民の納得のもと認められるのが「太宰府市民遺産」です。この納得するための提案と論議を交わす場、そして出来ることを持ち寄る場が太宰府市景観・市民遺産会議です』とあります。
今回の第5回景観・市民遺産会議においては、2件の市民遺産が認定されました。これまでの認定遺産には、「太宰府の木うそ」や「万葉集つくし歌壇」などがあります。
古都大宰府には、京や奈良に匹敵する歴史が存在します。そして、市民遺産たる提案材料も沢山あります。これは、すごいことです。どの市区町村さんも歴史があり、守り伝えることはありますが、太宰府は歴史に裏付けされた文化財が沢山存在します。古都として胸を張れる、そんな歴史があり、文化があります。
私達メモリアルパークもそんな太宰府にて事業をさせて頂くことができ光栄です。
太宰府市の皆さんが育まれている歴史と文化が、ここで働く私たちにも伝わり、郷土への関心に繋がっています。


景観・市民遺産会議の様子

                                         文化推進課 日下部

2015年3月17日火曜日

大宰府の終焉

12世紀になると、大宰府は荒廃していたことが予想されます。平清盛が大宰大弐になると、日宋貿易の拠点として博多が栄えることになり、政治的中心は海側へ移動しました。
元寇後には、九州統括拠点として「鎮西探題」が設置され、行政、訴訟、軍事を管轄します。ここに大宰府の統治機能は全て終焉をむかえ、海に広がる「博多文化」が花開きます。
どの都も、時代の流れとともに繁栄し荒廃します。奈良・平城京も京・平安京も時代の流れとともに首都機能を失いました。京に関しては、長い時代「帝」がおられた場所ですので、御所や寺社仏閣が多く残っています。それに比べると太宰府は、鎌倉時代から今日に及ぶ長い時の中で失われたものが多くあることが残念でなりません。
大宰府政庁跡地はその大部分が保存され、今日に至っています。復元が可能であれば、その雄姿を見てみたいと思うのは、私だけでしょうか?
ざっくりでしたが、太宰府の歴史を振り返ってみました。しかし、歴史的なものはこれに限ったものではありません。

次回より、太宰府の名所をご案内します。写真も取り入れご紹介していきますので、よろしくお願いします。

                                      文化推進課 日下部